
鮫島浩著「朝日新聞政治部」を読みました。
うーん、この人はこれを書かずにはいられなかったんでしょうね。
憤懣やるかたないこの事の顛末を。
著者は京大法学部を卒業後、朝日新聞社に入社。
政治部や調査報道チームを経て特別報道部へ移ります。
そして2011年東日本大震災の時の福島第一原発事故の際、吉田所長による「吉田調書」を朝日新聞で独自入手し、そこから2014年に特大スクープを出します。
なんと原発事故が起きた際、吉田所長は「すぐに現場に戻れる第一原発構内での待機」を命令したにもかかわらず、9割に当たる650人は10キロ離れた第二原発に退避した、というのです。
これでは、現場で事故処理にあたる人がいないではありませんか。
これは東電と(たぶん)政府によって公表されなった事実なのだそうです。
このスクープは大反響を呼び、「これぞジャーナリストの仕事だ!!」と絶賛されます。
数々賞を受賞し、鮫島氏は一躍社内でも英雄となって、ローソンに行けばそこにいる人たちから握手攻めに会い、お祝いのメールも次々届くことになります。
ところが、「待機命令を知らずに退避した人を命令違反と言えるのか?」と批判が出始めます。
この時、鮫島氏は「この記事の主旨は退避した人を非難するのではなく、このような過酷事故ではみんな退避してしまい、
事故対応にあたる人がいなくなってしまう事態が現実にあったのだから、原発の危機管理のあり方について問題提起したかった」と読者に説明したいと申し出たけれど、会社上層部はこれを了承しませんでした。
翌月に迫っていた新聞協会賞が欲しくて、ここでひるんだ印象を世間に与えたくない、という思惑があったそうです。
それなのにそれなのに、このあと続いて起こった2つの事件で朝日新聞が大揺れに揺れると、上層部は何もかもあのスクープが間違いだったと言い出します。
それまで絶賛してた上司たちがよってたかって鮫島氏を糾弾し始めます。
そして彼をそれまでのデスクから平社員に格下げして、ついには追い出してしまいます。
大新聞社といっても、こんなもんなんですね。
結局、自分たちの保身と世間体が一番大切というわけです。
ある時期から朝日新聞の記事が偏った印象になってきて、また、夕刊などほとんど宣伝ばかりで読むべき記事もないと感じたので、30年以上購読していた朝日をやめて毎日に変えました。
ちょうどこの人が辞めたころです。
たった一人の人間でも、いるのといないのとでは、新聞全体にも影響があるということでしょうか。
もしそうだとすると、やはりこの人は気骨もあり見識もある優れたジャーナリストだということではないかしらん。
それから、この本に書かれている1994年から今日に至るまでの社会状況は、私としてもリアルタイムで経験してきたことと重なります。
なので、ああそうそう、あの時はそうだった、この時はこんなだった、と記憶をたどりながら読んでいくことが出来るので、わりと読みやすいですよ。
いかがですか?一読の価値はあると思います。
SS
この本を読むとこんなことが分かるかもかも。
・政局を追うのって結局は虚しい使い捨てな仕事だという事。
(経済も同じかもしれませんね。)
・新聞記事って特別報道部みたいな仕事を主にしているのかと思っていたけれど・・・
この本のような仕事やってるんじゃ学級新聞にも劣るじゃんという事。
・新聞・テレビはもうダメだという事。
そして国もマスコミもグルなんで、どちらも信用できない事。
・組織にいては個人の能力は報われない事。
報われた気になっている人もいつかしっぺ返しが来る事。
(退職する時に「私は結局何をしてきたのか?」という脱力感は得られます。)
KS