
サラ・B・ポメロイとジェヤラニー・カチリザンビーの共著「マリア・ジビーラ・メーリアン 蟲愛ずる女 」を読んでみました。
マリア・ジビーラ・メーリアンというお方の人生を彼女の描いた絵と共に辿る、といった趣向の綺麗な本です。
そんな説明だと「甘っちょろい内容か」と思われがちですが、そのような事はありません。
また、タイトルからは「不気味な内容か」と思われがちですが、そのような事もありません。
(なんでこんなタイトルにするかね?)

マリア・ジビーラ君について僕は予備知識ゼロでしたが、その筋では知られたお方のようです。
彼女は1647年生まれなのですが、2013年の生誕366年の祝賀に、彼女の描いた「グリーンイグアナ」がGoogleの検索エンジンのトップ画像(Doodle)に採用されたそうです。

さて、この本を読んでみて・・・全く尊敬に値する人だという事が分かりました。
マリア・ジビーラ君、はフランクフルトの絵の工房で生まれ育ち、女性の絵描きなどほとんどいない時代に芸術家になりました。
マリア・ジビーラ君は、絵を描きながら昆虫や植物を観察、飼育し、そんなものを研究する人などほとんどいない時代に科学者になりました。
マリア・ジビーラ君は、50歳を過ぎてから娘を連れて動植物の研究の為に南米スリナムに旅立ち、女だけで危険を冒してそんな所に行く人などいない時代に冒険家になりました。
そして・・・
マリア・ジビーラ君は、ヨーロッパ人がアメリカ先住民に残酷な扱いをしたりアフリカ人奴隷を酷使していた状況に対して、異議を唱えるような良識を持っていました。
貴族の家に生まれたのであれば、地位やお金に飽かしてそのような事もできたかもしれません。
しかし彼女は単に絵描き(職人)の娘だったので、女性という低い地位も合わせて大変な努力と実行力、そして先見の明があったのだと思います。

その上、彼女のしっかりしていた所は、自分の作品や研究をちゃんと本や記録や標本にしていた事です。
だからこそ、今でも足跡を追う事ができるのですね。
その時代、本を作るのも他の事同様、かなり手間がかかって大変な事だったようですが。
彩色は一冊一冊手描きとか。
1717年マリア・ジビーラ君がなくなったその日、ロシアのピョートル大帝が彼女の水彩画300点と研究帳を購入したそうです。
1991年ドイツでは彼女の名誉を称えて500マルク紙幣を発行したそうです。
(なんか顔が歪んでないか?)

以前、イギリスの早すぎた女性化石ハンター兼古生物研究者メアリー・アニングの話を読んだ事がありましたが、今よりも女性蔑視の時代にあって、日の目を見ずに一生を終えていました。
それよりずっとずっと昔のマリア・ジビーラ君の方が、奇跡的なめぐりあわせなのか自助努力の賜物なのか、遥かに報われた人生だったように思いました。
KS