顔の部分がくり抜かれていて、そこから顔を出して写真を撮るようになっている看板ってありますよね。
それ自体物悲しいのに、日本全国それを求めて探し回るという素晴らしく悲しい本を2冊見つけました。
まず気になるのが、どちらの著者もそれを「顔ハメ」と呼んでいることです。
正式に何と呼ぶのかは知りませんが、「顔ハメで写真を撮ろう。」なんて言ったことも聞いたこともないです。
何かいやらしいし。
因みに、他で「顔出し看板」と呼んでいる例がありました。
その方が少しはしっくりくるかな。
それはさておき、本は力作です。
一冊はいぢちひろゆきの「全日本顔ハメ紀行」

もう一冊は塩谷朋之の「顔ハメ看板ハマり道」

違いは何かというと・・・
本の表紙で分かる通り、前者は顔の入る丸い穴の部分から顔を出していない状態の写真を撮りまくっています。
後者はその部分から自分の顔を出して写真を撮りまくっています。
読む前は、(デザイナーとして)前者の方が客観的で資料性があると思いましたし、知らない人の顔が出ている写真なんて見る気がしないのではないかと思いました。
しかし案外そうでもないのです。
顔にもよるんでしょうが、塩屋氏の場合いつも同じ無表情で写っています。
それが馬鹿げた看板とのミスマッチで味わい深いのです。
看板の絵の効果(?)もよく分かります。
多分、観光客のようにニコニコ写っていたら、このおかしさは無かったでしょう。
顔ハメ看板、やっぱり顔をハメていた方が面白い。
けれど、その状況を想像してみましょう。
塩屋氏は、通常ひとりで撮影しているようなのです。
まず三脚を立て、カメラを取り付けてアングルを決め、タイマーをセットし、看板の穴から顔を出して写す訳です。
これらの看板、大抵は観光地や人の集まる場所にあるので、そんなこと普通の神経じゃできないですよね。
1回や2回じゃないんで、僕だったら、これをしなきゃならないと思うと旅行が嫌いになりそうです。
体罰ですね。
ということで、後者の塩屋朋之の本に軍配が上がりました。
この手の本ですが、工事現場で頭を下げている看板を集めた「オジギビト」、誰も買わないような土産物を集めた「いやげ物」、誰にも出したくないような絵葉書を集めた「カスハガ」など探せばワサワサ出てきます。
こういう何の役にもたたず誰も顧みないモノにピンときて「執着」すると、案外「中毒」になるのかもしれません。
そして本を出して、ヒトに感染させようとしているのですね。
はるか赤瀬川原平のトマソンあたりが震源地でしょうか。
これから(なぜか寒いけど一応)夏、皆さん、これらの本を読んで新たな気持ちで顔ハメを試してみましょう。
ただ、顔を出しているのを見るのは笑えるかもしれませんが、本人は何も面白くないんですよね。
その空虚感も味わってみましょう。
僕も札幌でレアなのを見つけましたよ。
これは立体的で豪華にできているので、最初顔ハメだとは気がつきませんでした。

KS