北海道開拓の村の続きです。
長々とやってきましたが、いよいよ最終回となりました。 そして、最終回はあの「恵迪寮」(けいてきりょう)です。 なにそれって? 知る人ぞ知る、北海道大学名物の学生寮であります。 日本四大自治寮のひとつだそうです。 現在の恵迪寮は何度かの建て替えを経たようです。 北大から移築されたんでしょうが、おお、ボロい!! ボロいが、それが良いのだそうです。 ![]() 中はきれいですね。 きっと使っていた時は、中も外観同様すごい迫力があったのでは・・と想像しますが。 ![]() 入口近くの部屋、事務所でしょうか、簡素な作りです。 この建物の中には、有名な寮歌「都ぞ弥生」が流れています。 寮歌は毎年1曲ずつ寮生が作ります。 歴代の曲が聞けるジュークボックスのようなものも置いてありました。 ![]() 当直室(?!)でしょうか。 寮生の部屋ではないようです。 寮生の部屋は大部屋で、一人分はもっと狭い感じでした。 (寮生の部屋の写真は撮り忘れたのです。) ![]() 学生さんがいました! 古めかしいいでたちですが、顔はバタ臭いイケメンです。 (だって、西洋人のマネキンなんだもん。) 現在の寮生は勿論(応援団以外)こんな恰好はしていませんが、正装は学ランだそうです。 ![]() なんで色々知っているかというと、実は息子も恵迪寮で暮らしています。 勿論、本人が希望して入ったのですが、どうなることやら・・・。 すっぱだかの赤フンいっちょうで、大通公園を練り歩く「ストーム」やら、真冬に同じく赤フンいっちょうで寮の2Fから雪の中へダイブする「ジャンプ大会」(近くの女子大生が審査員)やらと、心配になるようなことだらけなのです。 (昔テレビで見ましたが、新寮になってもやっているのでしょうかね。) 本人は全くそういうタイプ(バンカラ)でもないくせに、何故か「おもしろそうじゃん!」と乗り気です。 ま、何事も人生経験と思い、やってみたら・・・と思う今日この頃です。 SS 恵迪寮は学内にありますが、それでも大学の南端まで地下鉄で2駅、北端まで1駅分あります。 大学の北端から南端まで行くには、地下鉄3駅分ぐらいあるわけです。 また、東西の移動も割とあるので、敷地内に住んでいても学生は歩け歩けですね。 恵迪寮は現在では場所も移転し、木造から鉄筋コンクリート造になっています。 そして何と女子用の棟もできたそうです。 それも女子学生たっての希望だったと聞いています。 私は木造時代に遊びに行ったことがありますが、上の写真のように綺麗ではありませんでした。 足の踏み場も無いほど物(ゴミ)が溢れ、天井にはティーバッグがたくさんへばりついていたのを覚えています。 紅茶をいれた後、ティーバッグを投げ上げるのですが、天井にひっつけるのは案外難しいでした。 (私もやってみました。) 余談ですが、映画監督の三木聡が、映画の中で天井ティーバッグをネタにしていました。 何だか懐かしく思いました。 当時でもこんな寮に住むどころか泊まるのも嫌だ、という学生も多かったと思いますが、住人たちはみんなノホホンと楽しげにしていたのを覚えています。 恵迪寮は、日本の絶滅危惧種「バンカラ」最後の砦のひとつでしょうか。 女子が加わったのは案外力強いかも。 (バンカラはハイカラの逆言葉らしいですよ。) KS |
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